田舎だと子どもは自ら育つ

茨城県常陸大宮市地域おこし協力隊の間瀬です。

家の周りをジョギングしていると小中学生が挨拶してくれます。あー、東京ではこんなことなかったなと、いつも驚かされます。

それならばと、私もジョギング中に農作業をしている人に挨拶をすることにしました。

山方の大久保地区で走っている私を見かけたら、是非お声かけください。

 

さて、本題に入り、タイトルの件です。

常陸大宮市に来てからというもの、周りの目を東京にいたとき以上に気にしていますが、つい素の表情や育ちの悪い言葉遣いが出てしまい、自己嫌悪に陥ることもしばしばです。

東京では何気なくやっていたことも、常陸大宮市ではやらないようにしていることもあり、そんな自分の変化からある一つの考えが生まれました。

 

『周りの目を気にするという発想は、子どもの教育において非常に有益に働くのではないか』

 

都会の子どもは人様の迷惑になることをしたとき、周囲の人間(=他人)は無関心で注意をしないことも多く、子どもは注意されないと分かると同じことを繰り返します。

田舎だとそうはいきません。注意もされるし、悪い噂も広がりますし、親にもそういう話はすぐ伝わるものですから、親も子どもをしっかりと注意します。

こういった近所の目は、子どもが自分の行動に責任を持つことにつながり、子どもの成長という点で大きな役割を果たすと思うのです。

 

これまで私は子どもの成長の上で、田舎より都会の方が良いと思っていました。子どもの数も多く、周りには多くの友人がいる環境が大切だと思っていたからです。

しかし今回の一件で考えに変化が生まれました。

私の小学生時代、児童数は学年で100人、3クラスありました。確かに数は多く、100人いましたが、その中の何人と交流があったかといえば、自分のクラスの30人前後であり、さらに一緒に遊ぶような親しい間柄だと10人前後でした。その点を冷静に思い返すと、交流人数は多くなかったでしょう。

子どもが成長するのに最低限必要なコミュニティの人数はいったいどれくらいなんだろう。

都会と田舎で子どもに与える影響の違いってなんだろう。

あらためて教育について考えるきっかけになりました。

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