歴史を知る方法とは?@第1回文書館カレッジ

暑い日々が続きますね。熱中症にはお気をつけください。

こんにちは、岩崎です。

7月2日に、緒川総合センターにて、第1回文書館カレッジが開かれました。今回の記事は、がっつり地域の歴史の話題になります。

私は、大学で学部・院生時代を通して日本近世史(江戸時代)ゼミに所属していました。久しぶりに歴史の講演を聞いて、学生時代を思い出し、なんだか懐かしい気分になりました。

この講演では、「生瀬・山方の乱について-乱の発生年代・事件の性格を中心に-」というタイトルで、資料館研究員の野上平(のがみ・たいら)先生がお話をして下さいました。

生瀬の乱

<概要>

1600年代初頭(※発生年代は諸説あり)に、生瀬(なませ)郷(現:久慈郡大子町)の農民が年貢の取立てに来た役人に年貢を出すものの、また別の役人が来ます。しかし、年貢の二重取りになるため、後から来た方が偽者ということで殺してしまいます。ところが、実際は、先に来た方が偽者で、後から来たものが本物だったため、水戸藩兵が攻めてきて、農民は皆殺しにされてしまったという事件です。

今でも、大子町には、嘆願沢や地獄塚などといった地名が残っています。

これと似たような事件は、ほぼ同時期に、山方でもあったようです。

山方の乱

<概要>

慶長7年(1602)に、山方と小貫の境にある枇杷川付近で、佐竹氏の年貢徴収役人が地元の農民に殺され、徴収金を奪われます。そこで、佐竹氏は制圧隊を派遣して農民を皆殺しにしたというものです。

 

皆殺しされたのであれば、どこかに骨が多数埋まっているはずですが、それはないようです。また、この事件には、当時の記録がなく、資料も延享2年(1745)のものや安政2年(1855)、明治13年(1880)のものと発生してから100年以上経ったものばかりです。そこで、歴史はどうやって知る事ができるのか、その根拠として使われる資料を紹介します。

歴史を知るための資料

歴史資料とされるものは、大きく分けて4つあります。

①文献資料・・・庄屋(村のトップ)などが書いた日記(報告書のようなもの)、借用書、領収書など。主に、文章の形で残されているものの事を指します。

②モノ資料・・・人形、茶碗、本、絵図などなど。主に、モノとして資料館や蔵に入っているようなものです。

③考古学資料・・・壺の破片、貝殻など。学術調査や建築現場の発掘作業で出土した資料です。

④伝承・・・昔からの言い伝えなど。家や集落内などで口伝えで広まるため、文章として残ることは少ない。

まず、発掘調査をする時は、③の資料を基に、当時はどんな状況だったかを①や②で補足してまとめます。そこで、発掘調査書ができあがり、発掘成果として公表されます。この書類さえあれば、その場所の全ての歴史がわかるといっても過言ではありません。

ただ、この乱は当時の資料が見当たらないため、後年の記録や④が頼りになります。でも、それだと当時の人が残した記録ではないため、根拠に乏しく、本当にこの乱があったのかといった話になってしまいます。そこで、この乱に関する伝承を1つあげたいと思います。

事件の伝承

この事件には、さまざまな伝承があります。その中で、諸沢地区に残る言い伝えがあります。

「佐竹様の侍が征伐にやってくる、みな山奥、村外に逃げろ…、まもなく佐竹様は常陸を去るので、深追いは不可能だ」

といったものです。

この伝承では、佐竹様がもうすぐいなくなるから、人目につきにくいところに逃げよう!といった事を伝えているのでしょうか。

また、佐竹氏は、関が原の戦い(1600年)の後、秋田へ国替え(1602)となってしまいます。それは、上の2つの事件の時期とちょうど重なります。この2つの事件では、平安時代末から500年支配した佐竹氏から新しく来た徳川家にお殿様が移ってしまう当時の人たちの混乱した様子を写し出しているのかもしれません。

この乱の舞台となった場所にも足を運んでみたいなぁ。

第2回はどういったことをやるのでしょうか。今から楽しみです(^^)♪

地獄沢(大子町文化遺産HP)

常陸大宮市文書館(常陸大宮市HP)

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