茨城県常陸大宮市地域おこし協力隊の間瀬です。
つい先日の早朝、那珂川の橋の上の温度計がマイナス6度となっていました。川の周辺は特に寒く、他の道路が平気でも橋の上だけ路面凍結している場合もあるそうです。車の運転では特に注意しなさいとご注意いただきました。そんなことまったく知りませんでした。いやー、危ない危ない。
さて、群馬県利根郡川場村と東京都世田谷区の交流についてご存知でしょうか?
今日は両自治体の興味深い関係についてご紹介させていただきます。
1981年縁組協定
川場村と世田谷区が「区民健康村相互協力に関する協定(縁組協定)」を締結したのは昭和56(1981)年。
世田谷区民が、川場村を通じて、都会で望めなくなった豊かな自然に恵みに触れながら、地元住民と相互に協力して都市と山村の交流を深めていくことを目的とした「第二のふるさと」づくりが始まりました。
全国的に縁組協定(姉妹都市ではない)は非常に珍しいケースであり、要はこれから共同して生計を立てて、未来に向かって歩んでいくことです。相互の「まちづくり、むらづくり」に協力することを意味し、「ひと・もの・かね・しくみ(情報)・こころ」の交流を目指しています。
平成の大合併
21世紀初頭に日本中で行われた平成の大合併は、川場村にとっても例外ではなく、当初沼田市に利根郡8町村を加えた枠組での合併が検討されました。
一方で、「周辺町村との合併」「村単独の存続」に加え、それまで20年以上交流を続けていた「東京都世田谷区との合併」も選択肢の1つとして挙がりました。
これについて横坂太一村長(当時)は、
「近いから合併するというではなく、ソフト面での結びつきを考えなければならない」
と肯定的な見解を述べ、世田谷区の大場啓二区長(当時)も、
「合併の申し入れがあれば、財政的な負担も含めて検討する」
と応じました。
法的には合併は可能であり、県境を接しない飛び地合併の初めてのケースという事で注目を集めましたが、村と区とでは160kmも離れており、群馬県の中に東京都の飛地ができるのは地域感情や手続き(県議会・都議会の議決および両知事の承認が必要)といった面で様々な難しい問題を生じさせかねない事から、実現はしませんでした。
朝市、ファーマーズマーケット
川場村の農産物・加工品・工芸品を扱った朝市が頻繁に行われています。
その開催頻度は他の「ふるさとフェア」などの一過性の物販イベントとは比べ物にならないほど多く、かつ、多くの場所で開かれています。
世田谷区民川場村
両自治体の出資で設立された宿泊・保養施設です。
RETRIPという旅行キュレーションメディアによりますと、施設はとても綺麗で、料理も豪華で、温泉もあるようです。
知っていると超お得!5000円以下で泊まれる『世田谷区民健康村』が想像以上(https://retrip.jp/articles/3907/)
ちなみに宿泊料金は、世田谷区民以外の方は1泊2食11,160円、区民であれば4,760円。
価格だけを見ても、気軽に利用できそうな施設に思えます。
気軽に利用できる価格ということは、それだけ両自治体も力を入れており、相互の交流も盛んなのではないでしょうか。
川場村移動教室
世田谷区内の公立小学校では、5年生になると移動教室で必ず川場村に訪れるそうです。
小学5年生およそ6000名を対象にした2泊3日の自然授業によって、これまでにのべ17万人以上が参加しています。
移動教室は5~11月に行われていますが、それ以外の時期にも農業技術教室や里山塾などの多くのプログラムがあります。
子どもの頃から交流を深めることで、心の中に第2の故郷をつくるということですね。
まとめ
私は川場村民にも世田谷区民にもなったことはなく、この取り組みを体験したことはありませんが、調べた限りでは、地域おこしの成功事例として捉えて良いのではないでしょうか。
川場村は2000年に、過疎地域指定を解除されてもいます。
川場村は自然豊かで優れた特産品を持っているとは思いますが、それだけでこれだけの成功を得られたわけではないでしょう。
その成功の裏には、お互いの自治体の信頼関係と協力関係があり、その関係を築くことに成功した『人』が存在したと思っており、地域おこしの鍵はやはり『人』であるということではないでしょうか。
縁組協定から35年、その立ち上げから軌道に乗せるまでに関わった人が、今の川場村と世田谷区の関係を見て、どう思っているのか。
「色々苦労したけど、やって良かった」
「自分たちのやっていたことは間違いではなかった」
そう感慨にふけっているとしたら、その様子には感極まるものがあります。
私の35年後はどうなっているのか。
もし、この川場村の発展に尽力した人たちのようになれたら、その人生に悔いはないかもしれません。