9月ももう後半になりましたね。こんにちは、岩崎です。
さて、今回は苗字と同じ地名について書こうと思います。皆さんは、外に出た時などで、苗字と同じ地名を見つけたという経験はございますか?
私の苗字は岩崎ですが、常陸大宮市にも岩崎という地名があります。
※私の苗字の読みは、「いわさき」ですが、常陸大宮市の地名の読みは「いわざき」です。
この苗字と地名、私とは何か関係があるのでしょうか?というのも、苗字と地名が同じというのは、地元の豪族、つまりお殿様が地名をそのまま苗字として使うようになった、あるいはその逆の可能性もあります。
例えば、常陸大宮市の御前山地域の長倉には、かつては長倉城があり、その城主はその地名を取って「長倉氏」を名乗るようになりました。
さてさて、岩崎にはそういった歴史的な繋がりはあるのかと思って、地名辞典を見てみましたが、特に岩崎さんとの関係は見出せませんでした…。それはさておき、岩崎とはどんな場所なのでしょうか?
常陸大宮市の「岩崎」とはどんな所?
・道の駅
常陸大宮市岩崎は、道の駅常陸大宮があります。道の駅は、久慈川に面していて、ロケーションは抜群のところです。特に、土日は家族連れの方やお友達同士で来た方などで賑わっています♪
▲道の駅から見える久慈川
・岩崎江堰・用水路
道の駅から少し歩いたところには、岩崎用水路があります。
この水路は、江戸時代に永田茂右衛門・勘衛門親子が作った三大江堰(岩崎江堰・小場江堰・辰ノ口江堰)の1つである岩崎江堰から流れてくる用水です。この永田茂右衛門は、甲州出身で、かつては武田信玄で有名な武田氏のもとで、金山開発や治水工事に関わっていました。そこで培った技術をこの三大江堰の開発に活用したのですね。
常陸大宮市は江戸時代は水戸藩に属していました。水戸藩の藩主は「水戸黄門」でお馴染みの葵の御紋の徳川氏ですね。武田氏は戦国時代に滅亡してしまいますが、武田氏の領地である甲斐の国が徳川家のものになったのと、徳川家が武田氏に一目置いていたこともあり、武田の遺臣で徳川家に行くことになった人も多かったようです。
ここに、常陸大宮市と武田氏の関わりを見ることができますね♪
個人的な話になってしまいますが、私は学生時代に、大学の史料調査で甲府や塩山(現:甲州市)などに足を運んでいたため、武田氏にはかなり親近感のようなものがあります(笑)ああ、また行きたい…。
▲永田茂右衛門ゆかりの岩崎用水路
この用水路は今の常陸大宮市宇留野や泉周辺にも流れています。場所でいうと、宇留野城跡や前小屋城跡のあたりになります。
写真はありませんが、岩崎古墳群として残っているところもあります。
まだわからない所も多々ありますが、岩崎さんの岩崎さんぽはひとまずこのへんで締めくくらせていただきます♪