10月は雨の月となってしまいましたね。こんにちは,岩崎です。
10月21日~22日の2日間,常陸大宮市の各所で文化財集中曝涼(しゅうちゅうばくりょう)が行われました。この2日間は台風接近で雨☂が降り続く足元の悪い中ではありましたが,その分雨の日ならではの景色も楽しめました。
曝涼(ばくりょう)とは?
普段,寺院などで保存されている文化財を虫干しを兼ねて展示することです。(昨年の様子はこちらから)
今年はこの集中曝涼に合わせて山城ツアーも行われました。山城に登るのは西金砂山以来です。
↓常陸大宮市内集中曝涼箇所の一覧はこちら(集中曝涼チラシ裏面)
※黄色で囲った場所が城下で,黒で囲った高部(たかぶ)城跡・河内(こうと)城跡が山城で登った場所です。
雨がシトシト降る中,山城ツアーへ。いざ,出陣!
集中曝涼1日目は午前は高部城跡・午後は河内城跡と山城ツアーに行きました。山城ツアーではお城はもちろん,その周辺の街並みも巡ります。
山城①:堀が幾重に張り巡らす高部城
城主は,佐竹氏の一族の高部(たかぶ)氏のち有力一族の山入(やまいり)氏になります。
高部城の前の道を西に行くと,鷲子(とりのこ)を越えると栃木県に出ます。また,東に行くと,佐竹氏の本城の舞鶴城(常陸太田市)があります。
お城があった当時,下野(現:栃木県)には那須氏がおり,彼らの攻撃に備えていました。
▲高部城の入り口付近。この時点で結構な傾斜です。
▲ロープ張りの傾斜を登って行きます。ここは若武者コースですが,すぐそばに寿コースがあります。帰りはそっちを通ったのですが,こちらもかなり急でした。
▲本丸を抜けて七の曲輪の付近に来ると目の前に雲と街並みが見えました。雨の日ならではの光景です。
景色も庭も素敵な岡山家喜雨亭(きうてい)
高部宿を代表する建物で,水戸偕楽園の好文亭を模して明治20年頃に作られました。素敵な名前ですね。当時は文人などが集い,水戸出身の横綱常陸山(ひたちやま)もここを訪れたそうです。
▲喜雨亭から見える景色。当時もこんな風景を楽しんでいたんだろうなぁ…。
▲「花の友」の看板のところが喜雨亭です。前の写真はこの建物の2階からの風景です。
▲岡山家の庭園。もうきれいに色付き始めましたね。
※岡山家は通常は非公開です。もし中をご覧になりたい時は,岡山家前の看板にある森と地域の調和を考える会の電話番号におかけ下さい。
山城②:雨ですべった河内(こうと)城
雨が強くなってきた午後は河内城の山城ツアーに行きました。周辺にある善徳寺と江戸新五郎の墓を巡ったのち,河内城に向かいます。
河内城は別名「鳥の子城」と呼ばれ,那須氏が攻めてきた時の最前線の城となっていました。城主は江戸氏で,近くには佐竹氏の国替えに従ったものの,病にかかって鷲子に戻った江戸新五郎の墓があります。
以前,たまたまこの城に登る機会があったので,傾斜はそこまでではないと思っていたのですが,雨の日のお城は普段とは違います。晴れているときはわりと登りやすかったのですが,雨の中,私はすべってしまいました…(・・;)
集中曝涼2日目,甲神社で長い家系図を目にする
2日目も山城ツアーが行われる予定でしたが,大雨のために中止に。集中曝涼そのものも15時までが13時までに短縮されました。
この日は1日目には行けかった鷲子山上神社(とりのこさんじょうじんじゃ),阿弥陀院,文書館,資料館,甲(かぶと)神社に行きました。この中でも特に印象的だったのは甲神社の系図です。
甲神社には源氏系図が展示されていました。この系図が,めちゃめちゃ長い!
▲佐竹氏の家系である清和源氏の系譜です。
佐竹氏の一族はもちろん,小田原北条氏や鎌倉幕府の北条氏,室町幕府将軍の足利氏など日本史の教科書でもおなじみの人たちの名前も見ることができます。
平安時代の文徳天皇からこの系図は始まっています。清和源氏の清和は,文徳天皇の皇子である清和天皇のことです。
この系図が作成されたのは元亀元年(1570)から天正2年(1574)の間とされています。400年以上も前なのにこの長さ。現代まで書いたら相当なものになるのかもしれませんね。
山城ツアーと集中曝涼に参加してみて
高部城は以前から登りたかったので,この機会に登ることができてよかったです。普段は見られないものをたくさん見ることができました。晴れているときの山城もぜひ見てみたいです。
地域・お城・佐竹氏など色んなところから調べていくことで,もっと自分の中に歴史を落とし込んでいきたい,そう思えたイベントでした。