いつもはこのくらいの時期に満開を迎えますが、今年はもうすでに桜が散ってしまいましたね。ひたち海浜公園のネモフィラも普段はゴールデンウィークが見ごろですが、今年は今頃だそうです。
寒かったと思ったら一気に暖かくなりましたね。今はまた寒の戻りが来ていますが。
こんにちは、岩崎です。
この度、4月8日(日)に、3年に1度の野上まつりに行ってまいりました。このお祭りは、長らく途絶えていたものを復活させたお祭りなのです。
今回は当日の様子やお祭りの歴史などを紹介します。
青空の下での屋台巡行!金色のまといと花まといも共にお祭りを彩ります
前日は雨が降っていたのですが、当日は晴天に恵まれました。青空の下を屋台が巡行する様子は圧巻です ‼
▲屋台の屋根を彩る桜の花も素敵です
▲行列は金色のまといを先頭に子供みこし、花まとい、屋台の順に進んでいきます
金のまといはカッコいいですね✨
野上原簡易郵便局前の広場を出発し、野上原駅近くにある野上公民館前で休憩を取ったのち、駅前ロータリーを回って広場に戻り、お昼頃には野上諏訪神社前にある格納庫に屋台が戻りました。
▲屋台の幅と格納庫の扉の幅があまり変わらないので入れるのが大変そうでした。また、入れる前に屋台の屋根にある桜の花は取り外されます。
▲花まといとまといも戻り、野上まつりの屋台巡行が終わりました。
屋台巡行が終わったあとは、山方南小体育館にて模擬店や歌謡コンサートが行われ、野上まつりは無事終了しました。
お祭りに携わった皆さま方、お疲れさまでした!
野上まつりは陰陽神社のお祭り
このお祭りは、山方の陰陽神社のお祭りの屋台行列を復活させたものです。今は、金のまといと花まとい、屋台行列がありますが、かつての陰陽神社の祭りにはこれに火消行列などが加わっていました。
お祭りは戦前まで250年間賑やかに行われ、かつては久慈川の神奉地(しんぽうじ)まで出社していたそうです。「神奉地」の地名は、現在も舟納豆の工場付近にある交差点の名前として残っています。
陰陽神社は夫婦和合の神様
陰陽神社は夫婦和合の神様として知られ、手水も男性が女性の手に、女性が男性の手に水を注ぐそうです。こんなちょっとした共同作業からもお互いを大切にする気持ちが生まれそうですね。
▲陰陽神社手水舎
▲拝殿へと続く道。拝殿から山道を少しのぼると本殿に到着します。
▲陰陽神社本殿
かつては本殿の隣に陰陽石があったのですが、7年前の震災で倒壊してしまったそうです。
戦争でお祭りが一時途絶えたが、平成6年(1994)に復活
話を少し戻します。250年近く続いた陰陽神社のお祭りですが、太平洋戦争が始まったことで火消行列が昭和9年、屋台行列が昭和12年を最後に中断されてしまいました。世の中が戦時体制に突入していったことで、とてもお祭りどころではなかったのかもしれませんね。
そこで、有志の方がこの伝統行事を後世に伝えようと立ち上がり、平成6年に祭事の一部の屋台行列を復活させ第1回野上まつりが開催されました。
野上まつりの開催が4月であるのは野上地区の鎮守諏訪神社の春の例祭が4月10日であるからだそうです。そのため、10日周辺の日曜日に3年に1度行われます。今回が9回目なので、次回が10回目の節目を迎えるそうです。
野上諏訪神社は野上原簡易郵便局のすぐそばにあり、水郡線野上原駅からも歩いて10分以内で行くことができます。
▲野上諏訪神社の境内
お祭りができるのは平和である証拠
今回のお祭りで感じたことは、地域活性化の前提として戦乱のない世の中だからこそできるのだということを感じさせられました。戦争を実際に経験したわけではないので言うのもなんですが、歴史の流れを見てみても文化が生まれたりするのは戦乱のない時代であることが多い気がします。
例えば、ひなまつりやこいのぼりは江戸時代に始まった風習です。江戸時代は戦乱のない世の中が200年以上続きました。平和な世の中で生まれた風習が今も残っていると言えるでしょう。
こうして地域おこしの活動ができるのも平和な世の中を作り出してくれた昔の人たちの努力があってこそなのだと思うとなんだか感慨深いものを感じます。
いつまでも平和な世の中であってほしいものです。