こんにちは、岩崎です。
先日、茨城県北ジオパークさま主催のイベント、ジオ散歩「西金砂山ハイキング」に行ってきました!
ジオパークとは、地球に関する地質・地形、自然、歴史などをつなげて1つの公園として考える場所ということです。そのため、普段何気なく通っている場所も何千年もの歴史が詰まっている場所であると再認識でき、とても興味深いです。
今回は、常陸太田市の西金砂山に行きました。この山は、西金砂神社や金砂城址がある場所です。お城があったというだけで、歴史好きな私はめちゃくちゃワクワクします(^^)
天下野公民館の駐車場を出発して、ジオ散歩のスタートです。このイベントは、40名が定員なのですが、当日は総勢80名が参加していました。
まず最初に断層の説明が始まりました。ここは、棚倉断層が通っているそうです。中央構造線は日本を縦断するように通っているんですね!ちなみに、先月の熊本地震はこの中央構造線の端で起きたものだそうです。
坂道を登って、西金砂山に入ります。ここは、祭礼道として小祭礼や大祭礼の際に使われるものです。
入り口はこんな感じですが、道は険しく、倒木が何箇所か見られました…。行きは歩くのが手一杯で写真をあまり取れていません(汗)
険しい山道を抜けると、西金砂神社の鳥居が見えてきました。
駐車場からは4キロ歩いてきたのですね。そして、ここは祭礼道なので、神輿はこの道を使って運ばれていきます。人1人が通れるくらいの幅しかない所でお神輿を担ぐと考えるだけでもかなり大変そう…。
「まつり山を下る」と書かれています。神社から行くと、神社の階段を降りて道を少し行ったところにあります。
先月、志賀隊員が投稿していましたが、西金砂神社は常陸大宮市の諸沢地区が氏子となっています。そのため、常陸太田市にある神社であっても常陸大宮には関わりの深い神社なのです。また、神社の階段は200段以上あるので、山道を歩いた後に登るのはちょっと辛いです。
やっと拝殿に到着しました。
ここから見る眺めは絶景です!山に囲まれたあたりが山方の中心部で、山裾に点在する集落が諸沢地区になります。
神社をおりるとすぐにふるさと歴史民俗伝承館があります。ここには西金砂神社の祭礼時の写真パネルや神輿などが展示されています。
ついに来ました!これが一番見たかったといっても過言ではありません。そう、この神社のある場所は、城跡があり、古戦場でもあるのです!!当時の館の跡などは残っていないので、どんな形であるか見ることができないのが残念です…。ですが、山道などに当時の面影が残っている部分はあります。それが2枚下にある写真になります。
下の写真の左側の斜面がかなり急になっており、近くで見ると岩の壁のようなものがあります。この岩は火山角礫岩(かざんかくれきがん)で作られています。火山角礫岩は、もともと列島が形成された時に、海底火山にあったものが現れたもので、崩れにくいそうです。ただ、この山は中世(鎌倉時代~室町時代)に金砂山城という山城があったこともあるので、その名残があるのではないかと思われます。山城は、自然にある山の地形を作って作られているので、城から攻めてきた相手に上から攻撃できるように、また相手が上にわざわざ上りにくくするために、わざと斜面を急にしています。
それなら、ここでの合戦に全て勝ってるかというとそういうわけでもなく…。平安時代の末には、鎌倉幕府を開いた源頼朝が攻めて来て、頼朝側はかなり苦戦したようなのですが、味方の裏切りで敗北を喫してしまったようです。どんなに攻めにくくしても味方に裏切られたんじゃひとたまりもありません。いつの時代も結局のところは人間関係なんですね(笑)
神社に行った後に、安龍の滝の方向へ。道がぬかるんでいたので滝までは行けませんでしたが、川の中にメノウの層を見ることができました。川の中にある白っぽく縦長に入っているものがメノウです。
で、この川の名前は、逆川(さかさがわ)と言います。太陽を背にして流れているからこの名前が付いたようです。そして、帰りは険しい道を下っていきました。行きは辛かったですが、帰りは険しさがわかっている分、辛さはほとんどなかったです。
ジオパークのイベントでは、地層・神社・山道など目の前にあるあらゆるものから地域について知れる面白さがあります。また是非参加したいなぁ・・・。
帰りに、東金砂神社の鳥居も見てきました。今度はこっちも行ってみたい…。
最後にクイズです。何度か出てきた「天下野」という地名、何て読むのでしょうか?ちなみに、「てんかの」でも「あまかの」でもありません。
正解は1週間後にお知らせするのでそれまで少々お待ちください♪その間、HPなどで確認するのはご法度ですよ~(笑)