こんにちは、岩崎です。
さて、8月6日に小貫(おぬき)鹿島神社にて、「オカシマサマとおまんじゅう」が行われました。常陸大宮に来てから「オカシマサマ(お鹿島さま)」の行事の存在を知り、DVDで様子を見たり、資料館にある人形(オオスケ人形)を見たりはしましたが、実際にやるところを見るのは初めてでした。
まず、オカシマサマとは
「オカシマサマ」とは、旧暦7月10日に、小麦わらで作った人形のオオスケ人形を害虫や疫病除けのために十字路や田畑などに立てる行事です。村の境界線に立てることで、病を村に入れるのを阻止するという意味合いがあります。
また、地域により多少慣習が異なり、人形を叩き合ったり、燃やしたりすることもあります。
この行事は茨城県北地域に見られます。それでは、8月6日の行事の様子をレポートします。
「オカシマサマとおまんじゅう」@小貫鹿島神社
まず、オオスケ人形を作るグループとおまんじゅうを作るグループに分かれました。
▲小麦わらで人形(オオスケ人形)を作っていきます。
▲私もおまんじゅうを1つ作りました。厚さが均等になるように作るのって大変!
▲おまんじゅうは1体につき2つ作ります
▲完成したオオスケ人形
オオスケ人形には武者の顔を書いた紙が貼られ、トウモロコシの葉で作られた裃(かみしも)が着せられます。また、竹で作った刀と茄子の輪切りで作った鍔(つば)も付けられます。
また、おまんじゅうは兵糧のモチーフになっています。腹が減っては戦はできませんかね。
オオスケ人形は、全部で50体作られ、うち5体はかわプラザにて、残りは小貫地区内にて8月16日まで展示されていました。
立てた場所は公民館前や給食センター前、道路沿いなどです。
▲小貫公民館前
▲道路沿いにも立てていきます
▲オカシマサマ@かわプラザ広場前
オカシマサマの由来
オカシマサマは、鹿島の神様「武甕槌神(たけみかづちのかみ)」が東北征伐に行った時に常陸の国の人々が援軍を出したことが由来とされています。
オオスケ人形が兵士の顔をしているのはそのためなのですね。
人形を叩き合ったりするのは戦いの様子がモチーフとなっているのでしょう。その力をお借りして、村に流行り病や疫病、害虫を入れないように人形を立てていました。
農業と民俗行事は結びついているもの
夏は虫が最も多い季節だし、稲穂も実をつけ始めます。その時期に作物に害虫がついてしまうと秋の収穫にも響きますし、また日々の食糧も少なくなってしまいます。今はスーパーなどで野菜を買うことができるので、実感はなくなってきていますが、自給自足の時代には人々の生活に直接響いてしまうわけです。
食糧は命をつなぐ大切なものですし、特に農家さんにとっては生活がかかっているわけです。
また、春から秋にかけてはお祭りの多い時期です。このことについてはまた改めてブログにまとめたいと思います。