12月になりました。2017年もあと少しですね。
こんにちは、岩崎です。
茨城県常陸大宮市と秋田県大館市は友好都市協定を結んでおり、両市の小学生の交流や職人の交流など様々な事業が行われています。
そんななか、11月26日に常陸大宮市長倉区・大館市長倉町の交流親睦会がホテル鹿角にて行われ、私も両市の歴史の講話を行う形で同行させて頂きました。
そこで今回は交流会の様子ののち、歴史の縁による友好都市、友好都市について思ったことを紹介します。
常陸大宮市・大館市の「長倉」のつながりって?
常陸大宮市小場にある小場城主の小場氏は、佐竹氏秋田国替えの際に大館城代として大館に移りました。この時に長倉氏(長倉城主)の家臣も小場氏とともに移り、長倉町を作りました。大館市長倉町の町名はこのことに由来しています。
※小場氏、長倉氏ともに佐竹氏の一族です。
▲長倉町交差点。バス車内より撮影したため、少しブレています。
当日の様子
交流会の前に、桂城公園や大館郷土博物館などの市内見学を行いました。
▲桂城公園
ここが大館城のあった場所。少し雪が積もっていました。
▲交流会の様子
交流会の前に大館市内巡りをしたことで、比内地鶏やアメッコ市など大館の歴史や文化を少しわかった上でのぞめました。交流会の中ではお互いの「長倉」についてやざっくばらんな話も出るなど、お互いの文化を知る良いきっかけになりました。
常陸大宮市と大館市は歴史の縁による友好都市ですが、こういった友好都市には他にはどんなものがあるのでしょうか。次で事例を紹介させて頂きます。
歴史でつながった友好都市・姉妹都市
茨城県常陸太田市・秋田県秋田市
両市は佐竹本家の縁で結ばれています。
佐竹本家がかつて本拠としていた舞鶴城は常陸太田市にあります。慶長7年(1602)の秋田国替えの際に、秋田市にある久保田城に移りました。(詳細はこちら〈常陸太田市HP〉)
また、久米城主の佐竹北家が角館(かくのだて)に移ったつながりから、仙北市とも友好都市を結んでいます。
茨城県結城(ゆうき)市・福井県福井市
両市は徳川家康の次男、結城秀康の縁によって結ばれています。
秀康は、結城氏に養子に入ることで結城氏の家督を継ぎます。関ケ原の戦いの後に初代福井藩主として福井に移封となりました。(詳細はこちら〈福井市HP〉)
群馬県前橋市・山口県萩市
両市は楫取素彦(かとりもとひこ)の縁によって結ばれています。
楫取素彦は、2015年大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公の再婚相手で、萩藩の出身です。明治になってから初代群馬県令として前橋にいました。県令とは、県知事のことです。(詳細はこちら〈前橋市HP〉)
歴史を調べたら,今まで知られていなかったつながりが見つけられる!かも…
前に取り上げた事例は、特定の人物がいた場所と移った後の場所のパターンです。
そこに私が常陸大宮市と大館市のきっかけになった小場氏について調べたことを例にあげてもう少し掘り下げて行きます。
大館城代の小場氏は小場城からすぐに大館城に行ったわけではなく、秋田国替え直前の2年は小田城(茨城県つくば市)、大館に移る前の数年は桧山城(秋田県能代市)にいました。
どちらも数年という短い期間ではありますが、ここだけでも大館市の他に2か所の常陸大宮市と関連する場所がありました。
特定の人物の歴史を調べてみると、こういった思いがけないつながりが見つかるかもしれません。
友好都市はお互いの文化を知るきっかけになる
ここまで歴史の話になってしまいましたが、友好都市事業を何度か取材した中で感じたことはこれです。
当たり前のことかもしれませんが、こういうきっかけがあると友好都市を結んだ場所はどこにあるのか、特産品には何があるのかを知りたいという気持ちが湧いてくるのだと思います。そこで、お互いのイベントに出店して特産品の販売などを行うなどわかりやすい形になると親近感が出てきますね。
私の出身の東京都葛飾区でも10月になると、産業フェアという産業祭が行われ、寅さんのロケ地になった都市が特産品などの出店を行っています。そこで初めて知った場所も多数あります。
“歴史を調べることでつながりが増えて、何かのきっかけになるかもしれない。そこからお互いの文化を知るきっかけになれれば良いなぁ…”そう思いながら活動していきたいと思います。