最近、気温の上がり下がりが激しいですね。風邪をひきやすい時期なので、体調管理にはお気をつけ下さい。
こんにちは、岩崎です。
10月16日に、文化財集中曝涼に行ってきました♪
集中曝涼って?
集中曝涼とは、普段は寺院の奥に入っている文化財を虫干しを兼ねて展示するというものです。なので、普段なかなか見る事のできない文化財を現地で見れてしまう貴重な機会でもあるのです!
常陸太田市が主催ですが、常陸大宮市でも文書館・阿弥陀院(常陸大宮市国長)・善徳寺(常陸大宮市鷲子)などが会場となっています。今年は、この文化財集中曝涼の中に、西塩子の回り舞台がありました。
集中曝涼ツアー1ヶ所目:西塩子の回り舞台
本公演翌日の午前中、私は片付け作業にお伺いしました。
そこで、翌日に新聞に回り舞台が掲載されたことや集中曝涼に入っていることもあり、舞台を見学に来られた方が多くいらっしゃいました。やっぱり、道路から見える回り舞台を見ると、!?と思いますよね。
▲御前山地域方面から見える回り舞台
本公演の翌日は、本公演には来れなかったから来てみたという方が多かったです。見学者の方は、みなさん熱心に舞台の花道や舞台を回す装置を見てらっしゃいました。舞台をこんなに間近で見れる機会はなかなかないですよね。
お昼を頂いて、次の場所へ向かいます!
集中曝涼ツアー2ヵ所目:常陸大宮市文書館
2ヵ所目は、回り舞台のある塩田公民館からほど近い常陸大宮市文書館です。ここには、常陸大宮の「大宮」の由来となった甲(かぶと)神社の古文書や資料が展示されています。
▲ここが甲神社です。常陸大宮駅からも歩いて15分くらいで行けますよ。
現在の市役所の辺りは、かつては部垂(へたれ)と呼ばれ、部垂城がありました。この鎮守として佐竹氏から篤い信仰を受けていました。素鵞(そが)神社も甲神社の境内にあり、7月末には裸神輿として有名な大宮の祇園祭が行われました。
また、この神社には、佐竹氏の祖である源氏の系図も所蔵されています。
▲甲神社所蔵「源氏系図」
ここで展示されていた古文書には、翻刻(くずし字を活字に直したもの)したものがあり、それも自由に持っていくことができました。後でじっくり読んでみたいと思います。
時間があまりないので、次の場所へ向かいます!
集中曝涼ツアー3ヶ所目:阿弥陀院(常陸大宮市国長)
3ヶ所目は、常陸大宮市緒川地域にある阿弥陀院です。初めて行きました。
▲阿弥陀院の入り口。赤い門がとても綺麗です。
ここで印象的だったのが、閻魔さまが出てくることで有名な十王図です。十王図とは、死後に冥界で10人の王の裁きを受け、それによって来世が決まるという中国由来の十王信仰を絵画化したものです。
地獄の10人の王と最後に救済する地蔵菩薩が入ります。
▲十王図の一部。
▲地獄での裁きを受けた後に、最後はきちんとお地蔵さまが救済して下さいます。
阿弥陀院で所蔵している十王図は2組あり、1つは江戸時代後半で、もう1つは明治44年(1911)の制作だそうです。明治時代に制作されたものは、江戸時代の十王図を模写したものだそうです。(展示されていたのは明治時代の制作の方です)
次に、善徳寺に行こうと思いましたが、ここを出た時点で時間がギリギリになったため、残念ながら行けず…。行きたかったのに(泣)
でも、もう1つ気になっていたところがあったので、これはこれで良かったのでしょうか(笑)?次は、その気になっていた場所に向かいます。
集中曝涼ツアー4ヶ所目:ふるさと歴史民俗伝承館(常陸太田市下宮河内町)
4ヶ所目は、常陸太田市の西金砂神社のすぐそばにあるふるさと歴史民俗伝承館です。
西金砂神社自体は、常陸太田市にありますが、常陸大宮市諸沢地区はこの氏子になっています。(参考記事はこちら)
▲田楽舞の練習の様子。第4段「一本高足」の部分です。
▲本番の様子はこちら。
この田楽舞は、6年に1度行われる西金砂神社の小祭礼で披露されるものです。そして、10月22日に西塩子の回り舞台で行われた茨城県郷土民俗芸能の集いでもこの舞は披露されました。ここに行った日は、田楽舞の公開練習の日でした。
この田楽舞は、「四方固め」「獅子舞」「種蒔き」「一本高足(いっぽんたかあし)」の4つから構成されます。4つ目の「一本高足」では、紅白になっている十字状の棒の上に乗り、飛び跳ねます。そこで、飛べた数が多ければ多いほど、その年は豊作になるそうです。飛ぶ人は、お面をかぶっているので、なかなか下が見えず、飛ぶのもかなり大変みたいです…。
おまけ:鯨が丘商店街
帰りに、常陸太田市の鯨が丘商店街で県北芸術祭のピンクの壁のアートも見てきました♪
街の歴史もわかるし、何よりもかわいいです♪
最後に
西塩子回り舞台は、明日10月29日には解体されてしまいます。1ヵ月半かけて作られた舞台が解体されてしまうのは、とても残念で寂しいですが、”組み立てては解体する”のもこの行事の大きな特徴でもあります。
そんなわけで、次回は西塩子の回り舞台の振り返りとして今までの流れを記事にまとめたいと思います。それまで暫くお待ち下さい。