茨城県常陸大宮市地域おこし協力隊の間瀬です。
山方地域の盛金地区で、三年に一回開かれる『素鵞(そが)神社例大祭』というお祭りがあります。今年は2016年7月17日9~18時に行われました。その様子をお伝えします。
お祭りの事前打ち合わせ
当お祭りに関して、事前打ち合わせから参加させていただきました。
その事前打ち合わせの中でお話しいただいた宮司さんの話がとても興味深いものでしたので、少々ここに載せます。
祀られている神様について
神様はスサノオ大神(=素戔男尊(スサノオノミコト))です。これは以前の記事『男祭り!緒川上小瀬祇園祭in立野神社』と同じ神様で、神様が同じだとすると、神輿の担ぎ方に関しても同じということで喧嘩神輿になります。
お祭りの運営について
ときは鎌倉時代までさかのぼります。執権の北条泰時が定めた御成敗式目に記載があり、祭りの運営資金については、基本的には氏子の負担・寄付でやりましょう。もし氏子が貧乏で足りないときは地頭に頼んでお金をもらいましょう。とのことです。
「泣く子と地頭には勝てぬ」という言葉もあるように、やはり地頭は強かったようです。
お祭りの伝承に関して
お祭りを知らない世代に対して、知っている人がお祭りを通して体験させながら教えていく。伝承していく。次の世代につなぐ。という意味があるそうです。
こういう話を聞くと、お祭りに対する興味や親近感がぐっと増します。
お祭り当日
神輿出立前の儀式が行われました。玉串拝礼、二礼二拍手一礼、等々。
担ぎ手一同揃って、地域の来賓の方からお言葉を頂戴しています。
山の中腹に位置する神社なのですが、眺めが良いことこの上なしです。
さあ、出発です。
賽銭箱が一番先頭を歩きます。神様といえど、やはりお賽銭は大切だからとのことです。
道行く人で、わざわざ車から降りてお賽銭を入れてくださる方もいらっしゃいました。
道行く人を見つけたとき、
『賽銭箱ー!』
と高らかに声をあげて、お賽銭をねだるのも面白い光景でした。
ちなみに、新参者にも関わらず、私は担ぎ手として参加させていただきました(笑)
皆さまが口を揃えて言われること。
『肩がボロボロになるぞ』
初めて神輿を担ぐ私にはイマイチ実感が沸きません。
厚手のタオルを肩に当てたり、ハッピの下にタオルを縫い付けたりする方もいらっしゃいます。
そんなに痛いのでしょうか。
神輿を見ていて痛そうにしている様子を見たことがありません。
お神輿はお旅所(お休み所)が近くなりますと、『もむ』と呼んでいる激しく神輿を揺らす行動をとります。
担ぎ手は『もめ!もめ!』という雄たけびとともに、盛り上げます。
お祭りの見所の一つでもあるでしょう。
お旅所に到着しました。
まずは宮司さんの玉串拝礼の儀に始まります。
それが終わると、担ぎ手は休憩と飲食の時間になります。
飲食の間にその地区の人が玉串拝礼をして神様に祈ります。
お神輿とは、普段神社までお参りにいけない人のために神様自ら出向く行為だそうです。
私なりの解釈ですが、神輿というのは神様の出張サービスです。
順路からそれて久慈川に入りました。
足がびしょびしょです・・・。
神輿が出立して五時間ほど、地区のお旅所を四つ回り、神社へ戻りました。
今回、神輿を担いで分かったこと
担ぎ手の人数や身長のバランスが悪いと、一方の側は本当に辛そうにしていること。
ものすごい形相で、『早く台(神輿を置くため)を入れろ!』と叫んでいらっしゃいました。
お旅所での休憩と食事が実にありがたいこと。
前半のお旅所での食事の消耗は激しいですが、後半のお旅所ではみんな疲れて手をつけず、ほとんど減らないということも分かりました。
理想を言うと、全てのお旅所で全ての食事を平らげるくらいが男としてたくましいのかもしれません。
お祭りは、昔においては男女の出会いの場という意味もあったそうですが、疲れたときにお旅所で気の利いたものが出てきたときは、確かに恋愛感情でも芽生えそうだなと、日本の文化として受け継がれていたものの価値を知ることになりました。
最後になりましたが、皆さんが言っていた『肩がボロボロになるぞ』という忠告は正しかったということ。
肩は脂肪が薄く、少しの衝撃でもものすごく痛いということが分かりました。
担ぎ手さんはすごい苦労をされています。
次に私がお祭りに参加するときは、ハッピにタオルを縫い付けて、しっかりと肩を守ろうと思います。
一人の怪我人も出ることなく無事に終わりました。
私も担ぎ手として参加させていただき、大変ありがとうございました。