常陸大宮市で頑張る農家さんにインタビュー!Vol.4 つづく農園・都竹大輔さん

”関東の嵐山”と呼ばれる、御前山(常陸大宮市)で
2006年より、いちご直売を始めた、
つづく農園の都竹大輔さん。

移住先を探し、日本各地を巡る中で、
偶然通りかかったこの地に一目ぼれしたことをきっかけに、
いちご農家として就農を決意しました。

そんな都竹さんに、
就農した当時のこと、
農園オリジナル品種・ルビードロップのこと
オープンして16年目を迎えた今だからこその思いなど
様々なお話を伺いました。

話を聞いた人:都竹大輔さん

都竹大輔さんのプロフィール
1972年9月15日生まれ。岐阜県高山市出身。

東京の建築会社で働きながら、ペンション経営を夢見て、
日本各地を巡る。
偶然通りかかった常陸大宮市・御前山の美しい景色に一目ぼれし
ここに住むことを決意。
様々な点からペンション経営は難しいと判断し就農へと方向転換し、
2006年、つづく農園(いちご直売)オープン。
現在は、農園オリジナル品種・ルビードロップ含め7種類のいちごを育てている。

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移住先は突然に!偶然が偶然を呼び、いちご農家の道へ

――ご実家が旅館経営をされていることから、将来はペンション経営を夢見ていたと伺いました。宿泊業から就農へと切り替えたきっかけは何でしょうか。

東京で働いていたときは、仕事柄、全国各地を出張で行くことが多くて。
ずっと、将来どこに住もうかと、移住先を探していたんです。
その中で、いつもと違う道を通って、偶然御前山を通りかかって、
直感的に「ここに住もう」って決めました。
もちろん土地勘もあまりなくて……。
ただ、ざっと周りを見渡して思ったのは、
ここでペンションを経営したとしても、続かないだろうし、潰れるだろうなと。
働くって言っても、当時は、水戸まで30分で行けるとかも知らなかったので、
ここなら農業をやるしかないと思いました。
その足で、そのまま市役所に向かって、
就農するにはどうしたら良いのか、相談しに行きました。
それが一番のきっかけですね。

――行動力がありますね。奥様は反対されなかったのですか。

御前山に出会ったときは、妻とまだ小さかった子どもと東京で暮らしていました。
子どもの世話もあるので、将来の移住先は、一人で探していたのですが、
東京に帰ったとき、妻に「住むところを決めてきた。」と事後報告でした。
最初は反対したかもしれないけど、もともとずっとそういう話をしていたので、
妻からしたら、遅かれ早かれいずれは……という感じだったと思います。

――なるほど。東京から移住をして地域に溶け込むまで時間はかかりましたか。

そこは時間もかかりましたし、何倍も努力したつもりです。
当時はなんとなく空気感の違いも感じていました。
まずは、地域に自分からどっぷりと浸かっていかないといけないなと思って。
今はコロナで中止になっていますが、地元のお祭りや体育祭、
あとは子どものPTAもずっとやっていました。
他の人がやらない地域の関わりは、
積極的に自分がやりますと手をあげていましたね。

――とても努力されたのですね。この土地を借りるのも大変だったのでしょうか。

土地を借りられたのは、農業を始める半年くらい前だったと思います。
やっぱり最初は、先祖代々の土地をよそ者にどうされるかも分からないのに貸せないって。
それはそうですよね。
最初は、移住当時からお世話になっているおじいさんおばあさんがいて、
その方の畑を借りて家庭菜園をしていました。
そのときに、東京から来て、ここで農業をやろうとしてる人がいるとすぐ噂になって。
地域の集まりがあるときには、子どもと一緒に顔を出したりもしました。
しばらくして、どうせ使ってない土地なんだから貸してもいいんじゃないかって言ってくださいました。
今では、こっちの土地も余っているからやってほしいと言われることもあります。
有難い話ですね。

フルーティーな甘さが人気!つづく農園オリジナル品種「ルビードロップ」誕生秘話

――「ルビードロップ」を作ろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

就農した当初は、とちおとめ、ひたちひめ、章姫(あきひめ)の3種類を栽培していました。
徐々に育てる品種を増やしていく中で、農業仲間での勉強会があったんです。
農業仲間と言っても、いちごだけではなく、ぶどうやりんごだったり……。
その中で、例えば、常陸太田市に「春友ぶどう園」というぶどう屋さんがあって、
そこはオリジナルのぶどうの品種を60種類くらい持っているんです。
後は、大子町の「有賀りんご園」の「きらり」という品種とか。
そういう人たちと一緒に色んな勉強会をやっていたので、
触発されて、オリジナルのいちごを作ってみたいと思うようになりました。
勉強していく中でできたのが「ルビードロップ」です。
本当は、ピンク色のいちごを作りたいと思っていましたが、実際はオレンジ止まりのいちごです(笑)。

▲ハウスで育てるルビードロップ、農業仲間との勉強会がきっかけとなり誕生。
ふわりと漂う甘い香りが特徴。

――「ルビードロップ」という名前はどのようにして決めましたか。

名前は、当時のお客さんの公募です。
この直売所で、名前を決める前にずっと試食してもらってたんです。
「このいちごに名前をつけてください!」って。
色々と候補がありましたが、妻の一任で「ルビードロップ」に決めました。
そこは女性の勘の方が良いかなと思って。

▲2022年は、1月5日よりいちご狩り開始。
各時間帯1組限定で、都竹さんとスタッフさんが手間暇かけたいちごが食べられる。

――都竹さんが思う「ルビードロップ」の売りは何でしょうか。

「ルビードロップ」はうちだけにしかない品種で、
大々的に外に出すつもりもないんです。
ここでしか売るつもりもなかったので、宣伝も特にしてなくて。
「ルビードロップ」という名前をどこかに取られたりしたら、
使えなくなる可能性も正直あります。
それでも、ホームページに「ルビードロップ」という名前を載せて販売した実績があれば
その後、もし取られてしまったとしても、何とかなるかなと思って。
うちでいちごが育てられなくなるわけではないし、
名前を変えたとしても、ファンがついていれば大丈夫だし、
”ここにしかない、いちご”を売りにしたいと思っています。

▲1月からいちごのシーズン。
道の駅常陸大宮~かわプラザ~にあるルビードロップ(贈呈品)

――”ここにしかない、いちご”素敵ですね!
今後「ルビードロップ」に続く、新たな品種を作る予定はありますか。

実は毎年少しずつ新しい品種を作ろうって思っていて。
交配かけたりしているのですが、なかなか上手く自分のものができないというか。
いちごは比較的品種改良できる作物なのですが、それが結局納得できるかどうか。
ちなみに「ルビードロップ」は3年くらいかかりました。

――なるほど。新しい品種のイメージはありますか。

今思い描いているのは、中まで真っ赤ないちごです。
いちごは切ると大体白っぽいですよね。それが中まで真っ赤ないちごです。
ケーキ屋さんで使ってもいいし、ジャムにしてもいいし。
まだまだどんな実がなるか分からないです。
もしかしたら、来年パっと新しい品種ができるかもしれないですしね。
いつできるのか自分でも分からないです。

サラリーマン時代からの永遠のテーマ!誰もが働きやすい環境を作る!

――オープン時から勤めているパートさんがいると伺いました。

そうですね。
オープンから勤めているパートさんもいます。
今、常時雇っているのが6人で、
その内5人が10年以上勤めてくれています。
皆さんプロですよ。

――安心してつづく農園のいちごを任せることができますね。

そうですね。
いちごって収穫作業というよりも、収穫のポイントが大事で。
特に「エンジェル・エイト」という白いいちごは、収穫のタイミングが難しいんですよ。
最初はどんないちごでも、青っぽい実から赤くなるのですが、
「エンジェル・エイト」の場合、これがどんどん白身を帯びていって、
種がピンク色になるんですよ。
それが収穫のしどきで。
ただ柔らかい分、収穫の技術と熟練の技が必要です。
パートさんたちは本当にプロなので、安心して任せられますね。

▲酸味と甘みのバランスの良い、
見た目も香りも楽しめる「エンジェル・エイト」

――働く仲間が変わらないというのは、簡単なことではないはずです。
きっと皆さんにとって、働きやすい環境なのだと思います。

ありがとうございます。
もともとサラリーマンをしていたときに、人事を担当していたんです。
そのときから感じていることは、自分が人を雇うときは、
「働きやすい環境を作る」のは目標の一つで、
自分の課題でもあったので
それは実践できているのではないかと思います。

――体への負担を減らす「マッスルスーツ」の導入も働きやすさという観点からでしょうか。

そうなんですよ。
腰が痛くなるので、少しでもパートさんの疲労を軽減できたらと思って導入しました。
あとは、日の当たるところでの仕事だからと、
妻が美容パックをパートさんにプレゼントしたり、夏場は空調服をプレゼントしたりしています。
自分で言うのもおかしいかもしれませんが、
国が導入している働き方改革を実行できるのかなと思います。

▲2020年、担い手不足や高齢化の課題解決のための
『スマート農業実証プロジェクト』に参画。
導入のきっかけは、”スタッフを重労働から救いたい”という思いから。
(写真提供:都竹大輔さん)

「マッスルスーツ」について
東京理科大学発のベンチャー企業・イノフィスが開発。
空気圧で動く電気不要のアシストスーツ。
つづく農園では、2020年夏に5台導入。

子どもたちの夢をのせて。遠隔操作ができる「収穫ロボット」実用試験実施へ

――「マッスルスーツ」の導入に続いて「収穫ロボット」の実用試験も開始したと伺いました。

そうなんです。スマートフォンにアプリを入れて、ロボットがその通りに動くというものです。
本来であれば、自動でいちごを認識して、ロボットが収穫をするというものなのですが、
あえてこのスマートフォンで操作しているのは、遠隔操作ができるというところです。
「収穫ロボット」の話をいただいたときに、やりたいと思ったことがあって。
例えば小児病棟とかで入院して外に出られない子どもたちもいるじゃないですか。
そういう子どもたちが遠隔操作でロボットを操縦して、いちごを収穫しますよね。
その収穫したいちごを「獲れた、わーい」で終わりではなく、次の日に宅急便で
実際にいちごが届いたら素敵じゃないですか。
そういうのやりたいなと思って。

▲遠隔操作でいちごの収穫が可能なロボットの実用実験を実施。
NHKのニュースにも取り上げられる。(写真提供:都竹大輔さん)

――夢がありますし、とても素敵な取り組みだと思います。

ありがとうございます。
あとは実際に収穫したいちごを直売所で販売して、
今は電子マネーでもなんでもあるので、本人に送金して働くということもできるかなと思いました。
だからあえて遠隔操作ができるロボットにしたんです。

――遠隔操作ができるロボットならでは!というものではないでしょうか。

そうですね!
ただロボットと話してても面白くないですよね。
人とコミュニケーションをとるからこそ、成り立つところがあると思います。
ロボットを介してコミュニケーションすることで
外に出られない子どもたちにどういう風にして、
知ってもらったり、体験してもらえるかということを考えています。
このロボットに限らず、いちご全体の話で言っても
ネット販売をすれば正直なところ、もっと高く売れるし儲かります。
素直に言ってしまえば、手っ取り早いのですが、
やっぱり直接ここに来てもらうのが一番の本来の目的だと思っています。
だからネット販売もやらないですし、大きな看板も出さないんですよ。
そこはずっとこだわっていきたいと思っています。

▲直売にこだわり続ける「つづく農園」。完売の文字がその人気を示している。

オープンして16年目に突入!”いちごの産地・常陸大宮”を目指して

――以前から農園の法人化や国道123号沿いの”いちご街道化”を通して、地域の活性化を目指していると伺いました。現在もその思いは変わりませんか。

そこまで、その思いは変わっていませんが、
今は常陸大宮自体をいちごの産地にしたいと考えています。
市内のいちご農家が9人いるのですが、9人中7人が他から移住して
新規参入した人たちなんです。
この地域のいちごを支えている、
盛り上げているのが他から来た人たちというのが
全国的にも珍しいケースなんですよ。
茨城県内の農業者の高齢化率は高いですが、
常陸大宮のいちご農家だけ見ると、平均年齢が30代くらいで。
かなり若い年齢で頑張ってくれているので、
それをもっと盛り上げていきたいと思っています。
また、もし新しく入ってきてくれる人がいれば
常陸大宮は就農しやすい、
いちごだったら常陸大宮だとやりやすいという
環境を作りたいです。

――素敵ですね!16年目を迎えたからこその新たな夢でしょうか。

そうかもしれないですね。
あとは、自分は大学生と高校生の子どもがいて、まだお金がかかるので
その間は頑張りたいと思っています。
子どもたちにお金がかからなくなったら、
自分たちとパートさんが食べていけるくらいで良いのかなと。
こういう直売は少しずつフェードアウトしながら、
そういうところは若い人たちに任せて、
自分たちは、市場出荷とか経営の方に方針をシフトしてもいいかなと感じています。

――お子様につづく農園を継いでもらうという気持ちもありますか。

自分の代で終わりというのも悲しいですが、
子どもたちには自分の好きなことをやってもらいたいなと。
もちろんこの農園を継ぐと言うならそれはそれでいいと思います。
それはまだ決める必要もないのかなと。

ゆくゆくはの話ですが、農園ごと若い人、第三者に全部渡してもいいと思っています。
やりたい人に丸ごと渡してしまってもいいのかなと。
今は、そこまで考えていますね。

――16年目を迎えたからこそ、見えてきた将来像ですね。この度はお忙しいところ、インタビューを引き受けてくださり誠にありがとうございました。

取材・文・写真 谷部文香
インタビューサポート 常陸大宮市地域おこし協力隊OG(1期生) 松原枝里

つづく農園・都竹大輔さんへのインタビューを終えて

▲2022年1月19日(水)につづく農園を訪問。
都竹さんの「人」への思いが伝わったインタビュー取材

東京でのサラリーマン生活から
つづく農園の今後のあり方まで丁寧に答えてくださった都竹さん。
都竹さんへインタビューをする中で印象的だったことは、
都竹さんが関わった人、出会った人たちの縁であったり、
子どもたちの笑顔をどうしたら見られるのかといったところなど
都竹さんの考えのベースが”人”であったこと。
「人と話すのが好きなんですよ」とおっしゃっていた都竹さんの表情は、
インタビューをする中でも特に柔らかいものでした。

私と同じように、
偶然出会った常陸大宮市(御前山)ですが、

都竹さんが今ではこの地域になくてはならない存在である理由が分かった、
そんなインタビュー取材でした。

この場をお借りして、この度はお忙しいところ
インタビューを引き受けてくださり、誠にありがとうございました。

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