ご無沙汰しております。こんにちは、岩崎です。
7月ですね。私は梅雨明けすらしてないのに早くも夏バテ気味です…。
初夏の陽気は好きなのですが、夏は一年の中で一番苦手な季節です。9月半ばまでは辛いなぁ…。
こんな私ですが、この夏を乗り切ることができるのでしょうか(笑)今から不安です…。
「馬頭観音(ばとうかんのん)」の道標が気になる!
常陸大宮に来てからずっと気になっていたモノがあります。ちょっとマニアックですが、それは「馬頭観音」の道標です。
▲崩し字表記ですが、「馬頭観世音」と書いてあります。「観音」は「観世音菩薩」の略称です。
実は、この道標、常陸大宮市内の色んな場所で結構見かけるのです。この写真は常陸大宮市三美(みよし)の県道21号線沿いにあるものです。
その他、毎年8月に行われる美和ふるさとまつりの会場になっている美和運動公園内でも見かけました。
その他にも常陸大宮市山方から高部(たかぶ)方面へ抜ける道の県道29号線沿いなどで見かけました。
そもそも「馬頭観音」って?
忿怒相をもっていて、体は人で、頭が馬のものと馬の頭飾りがついているものがあるそうです。
ただ、一般的には馬の無病息災の守り神として信仰されていたそうです。特に、江戸時代には馬の供養と結びついて信仰されるようになったそうです。たしかに、市内で見かける馬頭観音の道標には江戸時代に作られたものも見受けられました。
▲花立山から上小瀬野沢口へ向かう道にある馬頭観音の道標。作られたのは文政12年(1829)で、江戸後期になります。
「馬」のイメージって?
「馬」で連想するものというと何でしょうか?おおよそ、競馬の馬、馬刺しで食べるもの、牧場にいるもの、大河ドラマの合戦シーンなんかによく出てくるもの…、などどいった感じでしょうか。
まず、日常生活の中にいるものというイメージはほとんどないでしょう。
かつては農作業にも馬が使われていた
馬を扱う人というと、サムライというイメージが強いかもしれませんが、かつては荷物を運んだり、畑を起こす作業などにも農耕馬として馬が使われていました。「常陸大宮市民具展」にも、馬に引かせる鍬の馬鍬(まぐわ)が展示されていました。
昔の農家では、馬小屋もあって、馬に食事を与えてから自分たちの食事をしていたそうです。それだけ馬が大切にされていたのですね。
昔は自動車や機械がないので、そういった部分は馬に頼っていたのかもしれません。
戦後の昭和30年代あたりにもそういった光景が見られたそうです。こう考えると、機械が使われるようになったのもつい最近の話なのですね。
馬頭観音の道標があるのは田畑が近くにある場所
また、この道標を見かけた場所にも共通点があり、どこも畑や山がすぐ近くにあります。
つまり、農業と密接に関わる場所にあるということです。人間の体を作るための食糧にもなる作物、その作物を作るための農作業、その農作業に使うための馬。
そう考えると、馬頭観音の道標は、馬が人の生活を支えていた時代の生き証人とも言えるかもしれませんね。